こんにちは、日本マンガ塾です!
本日、2024年9月6日は…
マンガ塾講師のいわさわ正泰先生の画業20周年記念日となっております!!
今回はいわさわ先生の画業20周年をお祝いしたスペシャルインタビューを行いました!
デビューから現在までの道のりをお聞きした貴重なインタビュー、ぜひご覧ください!
いわさわ先生のご紹介
岩澤正泰先生(PN.いわさわ正泰) 神奈川県出身、マンガ塾2期生として入塾。在塾中、編集者審査会にて担当がつき、卒業作品「野球しようよ!」でデビュー。2004年9月秋田書店月刊チャンピオンにて『野球しようぜ!』『もっと野球しようぜ!』連載(計25巻)。小学館週刊サンデーS増刊にて「サブテン!」連載(全2巻)。現在マンガ創作の傍ら、講師としてマンガ指導中。
デビューまでの道のりについて
―まずは20周年、おめでとうございます!
いわさわ正泰先生(以下、いわさわ) ありがとうございます!20周年とは言われるまで全く気付きませんでした!驚きました!!
―マンガ家という職業を知られたきっかけはありますか?
いわさわ 子どもの頃、ドクタースランプアラレちゃんやキン肉マンでマンガの存在を知りました。でも、マンガはキレイすぎて人間が描いてると思いませんでした!きっとロボットみたいなのが描いてるんだろうなあ…と思ってました。
―本格的にマンガ家を目指すきっかけになった出来事はありますか?
いわさわ 一番最初は、小学校3年生の時、弟と従妹とでやっていた「マンガ家ごっこ」がきっかけです。祖父が、チラシの裏の白い部分をホチキスで閉じて作ったノートをたくさん溜めていたので、それにみんなでマンガを描いたのが始まりでした。まさにチラ裏から始まったマンガ家人生です。
プロデビュー作「野球しようぜ!」連載中のお話
―初連載が決まった時はどんな気持ちでしたか?
いわさわ メチャクチャ嬉しかった半面、やっちまったな秋田書店さん、と思いました。ペーパードライバーを高速道路に乗せるようなもので、いわさわは絶対事故るぞ、と思っていました。でもおかげさまで大きな事故なく走り切ることが出来ました。秋田書店の樋口さん、沖さん、拙い自分を引き上げて下さって、大変感謝しております。
―連載中の一番の困難はどんな事でしたか?
いわさわ ネーム200ページ分ボツを食らった時です。締切も近くて絶望的な気分でした。
―連載中の一番のライバル作品、作家の方はどんな方でしたか?
いわさわ ライバルというか、戦友的な気持ちだったのは月刊チャンピオンでほぼ同期だった本田真吾先生、みなもと悠先生です。
―野球しようぜ!で一番好きなシーン、思い入れのあるシーンはありますか?
いわさわ 「もっと野球しようぜ!」13巻の白鳥忍対ジョージ飯熊の対決ですね。妹への想いと母への想いの勝負は熱くて、どちらも勝たせたい気持ちでした。結果は単行本で確認してね。
マンガ塾の先生になってから
―マンガ塾の先生になったきっかけはどんな事だったのでしょうか?
いわさわ 校長に誘われました。あと、マンガ家って楽しいので、自分と同じ思いをみんなに味わってもらいたかったからそれを教えるために先生になりました!
―マンガ塾で教えていく中で、一番楽しいことは?
いわさわ 教えている塾生に担当がついた時。…それは嬉しいことか。
楽しいのは、個別面談で塾生の作品をブラッシュアップしている時です。どんどん良いものになっていくので楽しいです!
―授業でこだわっている点について、教えてください!
いわさわ マンガの楽しさを伝えることしか出来ないので、こだわりとかありません。
マンガ塾入塾者に向けて
―マンガ塾に入塾を考えている方に向けて
いわさわ マンガ塾在塾時に一番思い出に残ったことはなんでしょうか?
同じクラスの同級生たちとマンガを描きながら、あーだこーだ言ってる時。マンガは一人で描くものだと思っていました。でも、多人数でわいわい言いながら描く楽しさを教わりました。
―日本マンガ塾入塾を検討してくれている皆様にメッセージをお願いします!
いわさわ 自分がマンガ家になれたのは日本マンガ塾のおかげです。他のどんなルートでもマンガ家にはなれなかったと思っています。みんなもこの場所でチャンスを掴んで下さい!!!
いわさわ先生、改めて20周年おめでとうございます🎊
これからもマンガ塾の塾生指導をよろしくお願いします🙇
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